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退職金の起源は江戸時代の「のれん分け」



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日本の退職金制度の起源は、江戸時代の「暖簾分け」にあると言われています。海外にも退職金制度がありますが、日本の退職金は独自に発展して来たものです。

最近では、「暖簾(のれん)」を知らない人がいる。少し解説です。

wikipediaのよると「暖簾(のれん)とは、店先あるいは部屋の境界に日よけや目隠しなどのために吊り下げる布」のことです。


のれん
ならまちの織物店 (wikipedia「暖簾」から写真を引用)


江戸時代の庶民は、子供の頃に寺子屋などで「読み書き・そろばん」を覚える。10歳ぐらいで、丁稚奉公(でっちぼうこう)に出される。丁稚(でっち)は、商家で年季奉公する年少者ことです。丁稚には給料はなく、衣食住を保証されるだけだでした。

 

手代(てだい)になると給料がもらえ、番頭に出世することもある。番頭になれるのは200人に1人だけだったと言われている。番頭になるのは、おおむね30歳前後でした。今の言い方では、勤続20年です。

 

奉公人主人から許されて出店することがある。その時に、「暖簾(のれん)」渡されて同じ屋号の使用が許される。すでに、丁稚奉公から番頭になるまでに、商人の礼儀作法や商売の基礎を徹底的に教育されているので、身についている。こういう仕組みです。これが「暖簾分け」です。

最初は、本当に「暖簾」を渡されるだけだった。時代を経ると、開業支援金も渡されるようになった。番頭が暖簾分けで退職した時に渡される開業支援金が、退職金の起源です。

丁稚奉公制度は明治時代まで続いた。公的年金が整備されていない戦前の日本では、それなりの意味があったのでしょう。


今の日本では役割が終わったようにも思える。現役時代は給料で生活し、定年退職後年金で生活する。これが平成の時代までの生活スタイルだった。

 

現在では、少子高齢化の影響もあり、年金支給開始年齢が65歳から。70歳まで引き上げられる可能性が非常に高い。お役人は退職年齢を70歳まで延長し、雇用を義務付ける方針です。ところが、日本企業は大手含めて、70歳まで雇用することは、困難になって来ている。

退職金をもともとの開業支援金に戻そうという意見が一部にある。今の時代は勤続20年を過ぎて、45歳から55歳で雇用も年収も不安定になる。年金は70歳までもらえそうにない。約20年の期間長い。確かに、開業支援金が必要な時代ではある。




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